雑誌編集者の目線で統合報告書を作成する
株式会社マガジンハウス GINZA編集 松原亨氏
まず大事なのは分かりやすく伝えること
マガジンハウスは「ポパイ」、「クロワッサン」、「ブルータス」、「アンアン」といった雑誌を制作してきた出版社です。そんな出版社の編集チームが、2023年版から「ASVレポート」の制作に携わってきました。
正直、私はこの仕事に携わるまで、「統合報告書」というものを知りませんでした。もちろん私も会社員ですから、会社は毎年決算報告書を作る、ということは知っていますが、「統合報告書」という言葉は初めて聞きました。さらに、それを味の素さんでは「ASVレポート」と呼ぶわけですが、そもそもASVとは何ぞや、という点からして知らなかったのです。
そこでまず、この統合報告書というものは、何のために、どんな読者のために作成するのかという、そもそものところを調べることから始めました。いろいろな方にお話をうかがったところ、ざっくりとまとめるならば、「会社のファンを増やす」ための「コミュニケーションツール」であるらしい、ということが見えてきました。
では、ファンになってもらいたいのは誰なのでしょう。そのターゲットの中心は機関投資家の方々で、さらに個人投資家のみなさん、加えて社員、取引先などステークホルダー全般であることも分かりました。では、ファンを増やすためには、どうすれば良いのか。
それはもう、まずはなによりも、「分かりやすく伝えること」だと考えました。
味の素の業務内容を調べていて驚いたことがあります。私は味の素という会社のことを調味料や冷凍食品といった食品関連の会社としてしか認識していませんでした。ところが、実は半導体の中の絶縁材で世界シェアの90%を握っていたり、iPS/ES細胞の培地を提供することで再生医療の分野でも重要な役割を担っていたり、味の素は新しい分野でさまざまな形で活躍していることを知ったのです。
私は全くそれを知りませんでした。周りの友人や知り合いにこの話をしても誰も知りませんでした。なぜ知らなかったのでしょう。それはひょっとしたら、これまで、分かりやすく伝えられていなかったからではないか、と考えました。
私たち雑誌の編集者は、分かりやすく伝えるのが生業です。みんなが知らないことを取材して知り、読者のみなさんに「これ、面白いよ」と伝えるのが私たちの仕事です。だったら、知られていない企業価値も、うまく伝えることが出来るのではないかと思いました。
編集力で企業価値をよりよく伝える
では、どうしたら分かりやすく伝えることが出来るのでしょうか。
まず表紙。2022年版を見ると、表紙に「ASVレポート」と書いてあるのですが、それだけでした。それだと、この小冊子に何が書いてあるのか、これを読んだら何がわかるのか、手に取った読者には伝わりません。
そこで2023年版は「2030年味の素グループはどうなる?」というタイトルを表紙に入れました。これを読んだら2030年に味の素グループがどうなっているのかわかるのならば、投資家のみなさんは読みたくなりますよね。
このようなタイトルをつけることができたのは、この年、「2030年までに味の素グループはこうなるのだ」というロードマップが味の素さんから発表されたからです。そこで2023年版では、タイトルだけでなく、「2030年にどうなる?」という問いに対して、この1冊を通して答えていく、という構成にしようと考えました。
2024年版のタイトルは「進捗と、課題。」です。2023年版から1年が経過して、何がどれだけ進捗したのか、そして今、どういう課題があるのかをみなさんに伝える、ということをテーマにしました。
データや図版にも配慮しました。たとえば赤字の数字があったとしたら、それはネガティブな情報なのか、すでに対策が講じられていて将来黒字化する可能性が高い、つまり「伸び代」なのか、というように、数字ひとつとってもストーリーによって意味がぜんぜん変わります。
また図版については、ひとつの図でひとつのことを伝えることを心がけています。図版を作る側の心理として、いろいろな要素のつながりを一つの図のまとめたくなり、結果、曼荼羅のように複雑なものになりがちな気持ちは、私もよくわかります。しかし、ひとつの図で複数の要素を伝えようとすると、読者はその図版を読み解くだけで何分も時間がかかってしまいます。多くの会社の統合報告書を読まなければならない投資家のみなさんにとって、ひとつの会社のものを集中して読める時間は実際には30分くらいだろうと想定しましたが、そのうち5分をひとつの図版の読み解きに費やしてしまったら、途中で読むのを諦めてしまうかも知れません。図版は「パっと見てわかる」ようにするのが役割のはずです。
写真については、リアリティのあるものを採用するようにしました。参考のために複数社の統合報告書を見てみたのですが、記念写真的な写真が多用されていて、どうにも実感がわいてきません。そこで、工場での仕事風景や白熱した会議中など、実際の業務に臨んでいる時のドキュメンタリー的な写真を使うようにしました。
また、味の素グループにとって一番大事な言葉のひとつだと思われる「ASV」についても、どうしたらこのコンセプトの重要性を読者に感じてもらえるかを考えました。味の素グループのみなさんにとってこの言葉は重要すぎると同時に当たり前すぎて、読者には理解しにくいということがわからない、それも当然のことです。誰しも自分たちの常識に客観的になるのは難しいものです。そこで、世界中の従業員の方たちに登場してもらい、自分たちがASVについてどう考えているのかを語ってもらいました。それによって抽象的な理念を紙面上で「見える化」することにトライしました。
細かい点では、判型を少し変えました。以前はA4判だったのですが、このA4という形は見る人に無意識のうちに「資料」を連想させます。そこで2023年版以降は、縦を15mm短くして、多くの商業雑誌が採用しているA4変形という判型に変更しました。私はいわゆる「雑誌」は読者に対して「人格」のようなものを感じさせると考えています。「資料」は読者が読み解くものですが、「雑誌」は読者に対して雑誌のほうから語りかけてくるものです。そういう「人格」を読者の方たちに感じてほしいと思いました。
ASVレポートの制作に携わってみて自分なりの発見だったのは、出版社がもっている編集の力は、企業価値を高める仕事の役に立てるかもしれない、ということでした。まずはわかりやすく、こちらから語りかけるように読者に伝えること。これはどんなメディアにも必要なことだと、この仕事を通じて再認識いたしました。
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コモンズ30塾
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