ESGという空気に光を当てよう

おはようございます。渋澤健です。

国立代々木競技場は自分の朝のウオーキング・コースにありますが、毎回この巨大の建築物を見上げると敬意の念で心が晴れます。

およそ60年前に建てられた競技場ですが、建築家の丹下健三が選手と観客に一体感を演出するため、画期的に設計した柱がないケーブルの吊り構造です。そして、その画期的なデザインを実物として施工した建築エンジニアリングの技術は本当に素晴らしいと思います。当時の日本人は既存の枠組みに囚われることなく、(先週のブログでご紹介したように)「上を向いて歩こう」を実践していたんだなと感慨深いです。その時代の「上」は晴天だったからでしょうか。

でも、今の時代でも、晴天があります。足元は色々な大変なことが起こっていて先の視界が曇っているかもしれませんが、雲の上には必ず晴天がある。上を向いて歩いているのであれば。

だた、晴天が視界に広まると晴れ晴れしい気持ちになりますが、実際に自分が見ているものは何かといえば、計り知れない暗闇の宇宙です。その真っ黒な存在が、空気の存在と太陽の光によって、きれいな青色に変色しているだけです。宇宙には人間では把握できる解がなく、不安にもなるでしょう。しかし、空気と光によって、その解がない状態が、心を安らげる存在にもなります。

そういう意味では、日本人は「空気を読める」民族なので、空気に光を当てれば解がない不安でも希望が見えるはずです。

ESG(環境、社会、ガバナンス)は最近の時代の空気になっています。しかしながら、そのESGという空気に疑問を持つ意見がない訳でもありません。例えば、昨日の日経ヴェリタスで、植田和男元日銀政策審議委員は「ESG賛否論は根拠薄弱」と寄稿されています。要はESGに投資家が取り組むことで、平均的な利回りを超過する「アルファ」を得られる目的を達成することに疑問を持たれるということです。

時代の流れに疑問を投じることは大事なことだと思います。またESGに対して植田先生と同じような考えは少なくないでありましょう。

ただ、経済学とは基本的に根拠を証明(可視化)させるためにフレーミングを用います。例えば価格設定メカニズムです。このフレーミングでは投資の目的は「あくまでも利益を得ること」になります。一方、環境アクティビストであれば、異なるフレーミングによって、投資の目的とは「あくまでも地球を守ること」だと主張するでしょう。要は、人間は宇宙のような「全て」に対して可視化が不可能なので、自分が見える(あるいは見たい)フレーミングをします。

私自身の投資のフレームは、「か」ではなく、「と」です。利益「か」地球ではなく、利益「と」地球です。私は投資を通じて、心が晴れる希望を持ちたいです。

両立は不可能、あるいいは非効率的という批判もあると思います。そして経済学的には、非効率性には合理性の意味がないかもしれません。しかし、生物学的には・非効率性には意味があると思います。環境変化への対応という合理性です。経済学では、環境変化とはexternalities(外部性)であり、根拠を証明するためには外部性は変化しないと想定する傾向があると思います。机上の根拠はそれで色々な因果関係が証明できるかもしれませんが、実世界はもっと複雑系です。

また、植田先生は「利回り」という表現を使っておられるので、単年度というフレーミングでESGの礼賛をご判断されているようです。私もESGが企業の株価に単年度という短い時間軸では本質的なインパクトは見えないと思います。環境が変化しても、その企業がその変化に対応するための時間軸が短すぎて企業価値を変える時間が足らないからです。

単年度とは人間が時の流れを可視化するために設けたフレーミングです。単年度ではなく、30年でフレーミングすれば、ESGの根拠が強固になっているかもしれません。もちろんその根拠の解は(宇宙ほどではなないかもしれませんが)見えません。

だからこそ、既存の枠組みに囚われず、ESGという空気に光を当てたいのです。根拠が見えない解による不安(リスク)が、上を向いたら希望に見えるように。

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